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食わせの釣りというものがあります。味やニオイのついたソフトルアーを、エサに
見せて釣るというものです。これほどつまらないものはありませんし、食わせの釣
りをするのであれば、エサ釣りをすればいいだけの話なのです。そもそも、ゲーム
フィッシュを選んだルアーマンにとって食わせの釣りは最終手段ではなく、禁じ手
であって、そもそも選択肢に入れてはいけないものなのです。


ここは日本だからといわれてしまいそうですが、アメリカ人の知人などは味付きの
ワームを大変に嫌います。「土百姓(どんびゃくしょう)が」 と吐き捨てられて
しまいかねません。アメリカだってソフトルアーの釣りをするのに、なんだって
そんなことをいわれなければならないのかと問いつめれば、日本でいうところの、
「粋」じゃないということなんですね。彼らの吐き捨てる「Bumpkin !!」という
言葉には、本来「無作法」「バカタレ」「田舎者」という意味がありまして、そ
れを日本的に訳せば「土百姓」であり、美しく訳せば「無粋だねェ」となる。


ゲーリーヤマモトやバークレイあたりのワームなんてまさにそれなんですが、嫌う
人は嫌うようで、「エサも触れないのか」「ゲイなのか」と苛烈な攻撃を仕掛けら
れる始末。ただ、これらはゲームフィッシングを思考のゲームと捉えているからこ
そ生まれてくる発想であって、その点を理解できなければ、受け取る側の我々とし
ては一方的な差別発言を受けたというだけで終わってしまいます。


単に釣れればよいという釣りをして、一体何が得られるのかと。ロシアやカナダ、
アラスカでも同様にいわれるようで、なかなかにゲームフィッシュはゲームフィッ
シュたれという考えは根強いようです。北米では日本よりはるかに多くのゲーム
フィッシュが生息しており、その中でもクラッピーなどはワームで釣るのが主流な
のですが、女子供の釣りですとか、休みの日に家族でやるチョイとした釣りという
認識が強いようで、一等劣ると見られるようです。


差別や偏見意識の権化のようにも思えますが、日本でいえばブルーギルを2インチ
以下のワームで釣って自慢げにしていても見向きもされないのと同じといえばいい
でしょうか。それに似た感覚のようです。


ゲームフィッシングはハンティング、アウトドアと並列に語られることが多く、そ
れ自体が一種の自然信仰であり、人間本来の姿やあるべき形を追求する、 いわゆる
「道」としての認識があるようで、武術ではなく武道、弓術ではなく弓道といった、
一歩進んだ精神性や方法に価値を見出しているのです。


日本には空手や柔道(柔術)がありますが、「そんなものなくてもこのショットガン
をぶっ放せばOKだぜ!」とアメリカ人がいったとしたらどうでしょう。やはり我々
も、「わかってねぇなァ」と肩をすくめるのではないでしょうか。


「釣術」などというものがあるのかは存じませんが、あるとしても私はそれを選びま
せん。現代でゲームフィッシュをルアーで楽しむと決めた以上「釣道」としてとらえ、
昇華させる中で精神的充足を得たいのです。誰よりいくら多く釣ったとか、誰より大
きい魚を捕ったではなく、自身の思考と技術、精神力の鍛錬として釣りを楽しみたい
と思います。皆さんも、一度自分の釣りとは何か、真剣に考えてみてはいかがでしょ
うか。